BEGINS初見所感

Welcome back to real Gotham City...

‘我ら’のバットマンが、ゴッサムシティに戻ってきた。
しかも、とびっきりの‘上玉’になって。
ティム・バートンがニュアンスだけ残して、触れようとして触れられなかった‘闇’が、ジョエル・シューマッカーがサイケデリックに置き換えてしまった‘狂気’が、これほどまでに正しい場所に置き戻されて居ようとは。
バットマンは、スーパーヒーローから、只の人間に戻った。
ゴッサムシティはクリス・ノーランの自宅のガレージで再創造され実在する都市になった。そしてブルース・ウェインも、彼を取り巻く人々も、ヴィランどもでさえ、現実のものになった。
コミックスファン、特にアメコミ特有の色とりどりの衣装に身を包んだヴィランのファンには、きっと今回の映画は不評だろう、と思う。なにしろ、画面は終始薄暗く、おまけにヴィランが地味だ。ティム・バートン版のバットマンもその画像はひたすら暗かった。しかし、その暗さは、バットマンを闇に沈め、ヴィランを舞台役者のように際立たせるための暗さだったように思う。今回の‘暗さ’は、そうではない。バットマンだけでなくヴィランまでもがその‘闇’に沈み込んでいる。いや、沈み込むというよりも、馴染んでいる、と言ったほうがしっくりくるのかもしれない。
だが、その内に含んだ狂気の度合いは、それが為にいや増している、と、私は思う。
ラース・アル・グールもスケアクロウも、バットマンも。‘実在する’彼らは、皆狂っている。いわゆる、一線を越えてしまった存在、なのだ。だってそうだろう、夜な夜な蝙蝠のコスチュームを身に纏って出掛けていっては「悪党だ」と言って人を叩きのめす、そんな人物を評して「狂ってる」以外のなんと表現すればいいんだ。
バットマンとヴィランを別けているのは、自己を否定しているか肯定しているかだけのように思える。
ブルース・ウェインは、己が狂っているのを知っている、知っているが「しかし私は悪党ではない」というただ一つの拠り所に縋って、夜な夜な悪党どもを叩きのめし、その瞳にいっそうの闇を湛える。
ラース・アル・グールは、そしてスケアクロウは、己が狂っているのを知っている、知っているが、「だから私はこんなにも自由だ」と、夜な夜な恐怖を撒き散らして歩き、その瞳は益々透明に輝く。
むしろバットマンはどこかで彼らに嫉妬しているんだろう。



そんなバットマンを、クリスチャン・ベールという俳優は、見事に体現してしまった。
彼だけではない。
この映画に私がハマリまくったのは主に二つのツボを見事に押されてしまったからなんだが、その一つが、キャスティング。
ブリティッシュの底力、とでも言えばいいのか。シェイクスピアの古典劇を叩き込まれて育つ彼ら英国の俳優たちは、見得の美、というものを理解している。そして彼らは、なんの臆面も無く(ここ重要)、堂々とそれを演って見せるのである。
彼らにとって、演じる事への禁忌は殆ど無い、むしろ、現実社会の禁忌を大きく逸脱する役柄であればあるほど、彼らは輝いて行くようにさえ思える。それも『ハムレット』がお家芸の国ならば当然なのかもしれない。彼もまたブルースと同じく、‘父の死’による狂気に身を焼くナイーブでストイックでボーダーな青年なのだから。
で、英国俳優ってのはそんなエキセントリックでフェティッシュな役でないと光らないのか、というと、それがまたそうでもない。(フェティッシュといえばある種フェティッシュなんだが)トーマス・ウェイン、アルフレッド・ペニイワース、ジェームズ・ゴードン。狂気から対極の位置にある彼らの崇高にさえ思える普通の人間らしさ、を、やはり彼らは演じきって見せている。普通の人、のように見えるように、と言い換えたほうがいいのかもしれないが。(それを演じているのがあのライナス・ローチ、かのマイケル・ケイン、例のゲイリー・オールドマンだ、っていう何なんだこのラインナップ、っていうのはまたそのうちどこかで書きなぐりたいと思います。)
この映画に、英国俳優特有の、あの、有り得ないところにある現実感、が大きく貢献しているのは間違いない、と思われる。キャスティングディレクターに最大級の賛辞を。「あんたほんっとにバカだ!ありがとう!」
さらにもう一つのツボは「B級」。
この映画は私にとって『ロード・オブ・ザ・リング』と同じくらいの、最高のB級映画だったよ。
監督の家のガレージから製作が始まるような映画は、誰がなんと言おうとB級映画だ。たとえ地の果てアイスランドまでロケを敢行していようが、ブリティッシュの綺麗どころを軒並みキャスティングしていようが、モーガン御大がご出馬なさっていようが、そんなことは関係ない。我らの大好きな愛すべきB級映画だ。僕らの愛も溢れているが、製作側の愛も溢れている。「これが僕らの『バットマン ビギンズ』なんだ!」(『』内のタイトルは『LOTR』『リベリオン』『サラマンダー』等に変換可能)そんなB級映画が、私は大好きだ。
製作側の愛が注がれると、俄然、ディティールが輝きを増し始める。豪華になる、とか、金がかかる、とか言うんではない。こだわりが増すんである。リアリティが増すんである。端的な例を挙げれば『機動戦士ガンダム』だろう。ロボットアニメの世界の戦争にリアリティを求め、鉄の塊が空に浮くためのミノフスキー粒子という説明を、アニメに求めた稀有な存在である。
バット・スーツやバット・モービルにリアリティがあるか、という問題じゃない。超高性能の戦闘用プロテクターや装甲車が、現実に存在し得るんだ、という設定を創り上げるところに、B級の真骨頂がある。「都市の地図がなきゃ、その街にバット・モービルを走らせたりモノレールを走らせたり出来ないじゃないか」というこだわりが、「流れるような美しいケープを纏ってこそのバットマン」というフェティシズムが、私のツボにハマリまくったのである。都市の造型は『ブレードランナー』に迫り、ビルの尖塔にケープを曳き流して佇むバットマンは神々しいと言えるほどの美しさだった。

とにかく今の私は冷静じゃない。イカれてしまっている。『HUSH』や『DARK KNIGHT RETURNS』を読んだ時とほぼ同じ状態である。そういう意味では正に『バットマン ビギンズ』は私にとって正しすぎるくらい正しいBATMANだったんだとは思うのだが。
映画としてどうだ、という判断は、今の私には求めないで欲しい。

不思議なのは『ロード・オブ・ザ・リング』の時は、原作との違いや細かな点が非常に気になり、最初は映画を否定しさえしたんだが、この映画に関しては…「少々のことなんてもうどうでもいい!」という気になってしまっている点である…
やっぱりアレなのか、これがブリッツの色香に惑わされてる、って事なのか?!
[PR]
by radwynn | 2005-06-19 12:02 | Movie-Batman-
<< Hotwired Review 捜さないで下さい… >>