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Linus Roache as Thomas Wayne

ネタバレありのトーマスパパ&ライナスさん語りです、ご注意★


トーマス・ウェイン。私財を投げ打ってゴッサムシティにモノレールを建設し、自らは慈善病院に医師として勤務。巨大コングロマリット、ウェイン・コーポレーションの産む富を受け継ぐウェイン家の党首であり、愛する妻と最愛のひとり息子、そして彼らを愛する執事アルフレッドとともに、ゴッサムシティ郊外のウェイン邸に、静かに暮らして、いた。
過去形で書かなければならない。そして過去形で書かなければ、バットマンの物語は始まらない。
『バットマン ビギンズ』で、バットマン映画としては初めて、彼、トーマス・ウェイン、ブルース・ウェイン—やがてバットマンになる男—の父は登場する。むしろ『ビギンズ』だから登場し得た、と言うべきだろう。何故ならこれはバットマンの映画ではなくブルース・ウェインの映画だから。
トーマス・ウェインに関して映画から得られる情報は、冒頭に書いた程度に過ぎない。そしてその登場時間も余りにも僅かだ。
だが、彼の存在はこの物語の根幹を成している。
数少ない彼の台詞の一つ
「It's Okay...」
このたった2語3音節の台詞が、この後、彼の最愛の息子ブルース・ウェインの全てを支え続けて行くのである。



全ての彼の台詞は余りにも静かに紡がれる。
ブルースが枯れ井戸に落ちたときにも、その繊細だが強そうな手は、しっかりと息子の手を取り、静かで確信に満ちた声は、「大丈夫」と語りかけた。
ジョー・チルの愚行の前に崩折れ、己の最後の時にさえ、彼の手はしっかりと息子の手を包み、その声は常に変わらず静かだった。「大丈夫」、と。
彼は知っていた。暴力よりも富よりも強い‘何か’を。彼自身がそれを体現していた、と言っていい。ジョーの銃口の前でさえ、彼の平常心は僅かも揺らがなかった。そしてその弾丸から愛するものを守るために命を捧げることに何の躊躇も無かった。
そんなトーマスだからこそ、アルフレッドは執事としての義務以上にそのお仕えもうしあげる党首を敬愛した。それがあればこそ彼は執事以上の存在としてブルースを守りつづける。
そんなトーマスの行為を、言葉を、脳裏に焼き付けていたからこそ、ブルースは、己に、一線を超えることを赦さなかった。それは確かに、ブルースにとっては、茨の冠だったのかもしれない。
トーマスの、この静かで強い精神を、ライナス・ローチの揺ぎ無い視線は、限りなく正しく表現していた、と、私は思う。
彼の台詞の‘強さ’に説得力があったからこそ、デュカードが(そしてアル・グールが)何を言おうとも、それは本当の‘正義’ではない、と、言い切れる。もちろん、ブルースがそれを悟るには時間が必要だった、のだが。
デュカードの言葉に、ブルースは揺れる。彼の中の‘父’は、彼に茨の冠を与える存在だったから。しかし、観客は既に知っているのである、トーマス・ウェインこそ、正義だったのだ、と。そして彼の中にあったそれは、確実に、その息子へと受け継がれているのだ、と。己に確信が抱けず揺れるブルースの姿の中にさえ、それを見出すことができるのは、トーマスの言葉にそれだけの強さがあったから、なのだ。
リーアム・ニーソン演じるデュカード—ブルースの師—と、ライナス・ローチ演じるトーマス—ブルースの父—この二つの対極こそが、今回の映画で提示されたバットマン誕生への大きな鍵なのだ、と、私は思う。
そして、この映画で示されていたのはやはり、多重に入り組んだ‘父’と‘子’の葛藤、だったのだ、と。英雄は常に、己の父を殺してやっと英雄足りえるのである。
リーアム・ニーソンの伸び伸びしたヴィランぶりの陰に隠れて、それでなくても余りにも静かなライナス・ローチの演技は見過ごされがちのようだが、リーアム・ニーソンがはじければはじけるほど、その‘動’と、ライナス・ローチの細波ひとつ立たない水面のような‘静’の対比が際立つのだ、と、思うのだが。
ライナス・ローチ。彼の静かで強い瞳は、いっそそれを向けられた人に、己の内面までも見透かされるような、ある種の陶酔感さえ覚えさせるのかも知れない。『リディック』のピュリファイアしかり、『フォーガットン』の‘男’しかり。映画デヴュー作であり、問題を巻き起こした『司祭』で彼の演じた、屈折しているが純粋な神への愛と余りにも率直な人への愛をその身に宿す青年司祭の、その純粋さは、彼がどのような行動をとっていようが、終始画面に溢れていた。それはきっと、あの瞳の所為だったんだろう。
むしろその瞳の所為で、コケオドシの多い今のハリウッド映画には、正しい居場所がないのかも、知れないなあ。
by radwynn | 2005-06-24 10:09 | Movie-Batman-
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